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でっかい独り言、内緒話に戯言三昧

でっかい独り言、内緒話に戯言三昧

徒然なるままに…~自分~

 ずーっとずーーーっと自分は必要のない子だと思っていた。三女というポジションは苦痛でしかなかった。
 学校へいくまでは、自分が「できない子」だと思っていた。なぜなら、自分は上と同じことができると思い込んでいたから。常識で考えれば4つ上、6つ上の姉たちと同じことができるわきゃないのだ。でも当時の私はそんなこと思っても見もしない。どうして自分にそれができないかなんて、理解できなかったもの。
 お嬢を育ててみて、「あーー、第一子ってこんなに待ってもらえるんだ」と思った。
 小さい時、なにかができて誉められたという記憶がない。いつも「早く○○ができるようにならないか」という視線と言うか、期待(?)は感じていたけれど。なにかできても「こっちはできないの?これはできないの?」いつもそう言われた。

 何気ない会話にでてくる事に、さらに劣等感はつのって行く。姉達と同じ産院で生まれた私。予定日は5月5日だった。
「今度は絶対男の子」そんな期待に満ちていたらしい。名前も男の子ものしか用意されなかった。予定より早く生まれた私、産声の響く中、助産婦さん、看護婦さん、立ち会った一同黙っていたそうだ。それで母は「あ、女の子ね」と解ったそうだ。
 名前も決まらず、出生届の受理ぎりぎりにやっと決まった名前。
買い物へ行くと「男の子にこんなの着せたかったわ」「男の子いたらどんな感じなんだろ」「男の子も育ててみたかったね」何気ない会話だ。よくある、本当によくある会話だ。悪意のないのも私を疎んでいる訳ないのも解ってる。でも、じりじりぎりぎりと心は締め上げられていく。
 男になろうと思った。なにかをする度に「お母さんのお腹の中に忘れ物したんだね」と言われた。男になりたかった。それが自分に望まれていることだと思ったから。そうじゃないと「自分」を見てもらえないと思ったから。

 女の子である自分をそのまま受け入れてくれていたのは父だけだと思っていた。だから父が大好きだった。父だけがいてくれたら、それで良かった。だけどその父はあっというまにいなくなった。
 そしてかなりたってから知る事実。父は私を望んでいなかった。ぎりぎりまでおろすことを要求し、男の子ならとしぶしぶ生むことを了承した。だから私は名前が決まらなかった。女の子につける名前なぞなかったのだもの。当然だ。
 だけど、父は愛してくれた。それが贖罪だったとしても。母も愛してくれた。男の子であっても女の子であっても。それがわかったのは、父も母も失い、自分が母親になってからだ。
 我ながらなんて遠回りな人生だ(^^;)

 自分が学校へ行くようになって、「自分の世界」ができた。友達よりできることもあり、できないこともあり、「今の」自分はこれでいいんだと知ることも出来た。自分の努力なしでは結果がでないことも知った。
 今の私を支えてくれているのは「自分の」友達だ。家族と言う小さい枠から出て、「対等」に、時にはののしり、励まし、泣き、笑い、たくさんの想いを叩き付けあったから、今があるんだろうと思う。

 もし今、両親が生きていたら、私は何を思うだろう。多分、私は「今の」私ではない。きっと違う考えを持っているだろう。だから、生きていたらと考えるのは時間の無駄だ。私であって私でないのだもの。解る訳がない。
 お嬢とともに過ごすなかで、たびたび、自分の深淵をのぞかなくてはならない。痛みや吐き気を伴うが、これもまた、自分が受けねばならない試練なのだろうな。「今の」私には解らずとも、「いつかの」私はきっと理解するのだろう。そう思うと年をとるのも悪くない。そう思うことにしている。


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